白州 次郎

Photo.1

イギリスに
「立派な風采は推薦状である」
The excellent appearance is a letter of recommendation

という諺があります。
立派な容姿、服装をしていることで
その人柄をも保証された推薦状をもらったようなものである、という意味です。
内面がしっかりしているのはもちろんのこと、
逆に言えば、その品格や生き方さえも
その人のスタイルに表れる、ということであります。

「服装」「スタイル」「生き方」というワードを並べますと
私のテキスタイルとして敬愛してやまない、或る一人の人物を連想いたします。

白洲 次郎(1902~1985)

先般、NHK でも「その時歴史が動いた」やその半生を綴った
連続ドラマが組まれたり、世はまさに「白洲 次郎」ブーム。
終生、非常に高い美意識を持ち、常に「格好良い生き方」とスタイルを貫き、
自らの信念に反する事は頑として譲ることのなかった彼の美学は
幾多のエピソードから垣間見ることができます。

終戦直後の GHQ最高司令官 ダグラス・マッカーサー宛てに贈られた
昭和天皇からのクリスマスプレゼントを白洲氏が届けた際、
「そこらへんに置いといてくれ」と指示したマッカーサーに
「天皇陛下からの贈り物を適当に置けとは何事か!」 と恫喝した事、

サンフランシスコ講和条約締結時、1951年(昭和26年)9月、
時の宰相 吉田 茂首相が行った演説において
受諾演説の原稿が GHQに対する美辞麗句を並べ、
かつ英語で書かれていたことに外務省主席随行員として同伴した白州氏が激怒、
「講和会議というものは、戦勝国の代表と同等の資格で出席できるはず。
その晴れの日の原稿を、相手方と相談した上に
相手側の言葉で書く馬鹿がどこにいるか!」と一喝し
急遽原稿を長さ30メートルにも及ぶ日本語の巻物に直したことなどなど。

「我々は戦争に負けたが、奴隷になったのではない」
(Although we were defeated in war, we didn’t become slaves.)
という、白洲氏の遺した語録に
彼独自の、日本のための強い信念が込められています。

自らが理事長を務めた名門中の名門、軽井沢ゴルフ倶楽部において
クラブハウスでお抱えの運転手に
ゴルフシューズの靴紐を結ばせているのに業を煮やし、
「おい、てめえには手がついてねえのか!」と
現職の総理大臣相手を怒鳴りつけてみたり

時の総理であった中曽根康弘氏がプレイした際も
取り巻きのSP をゴルフ場から締め出し
仕方なく場外から双眼鏡で監視するSPに
「何だ、バードウォッチングか?」と揶揄したり
(当時の中曽根氏はころころ政策を変えるため、風見鶏と呼ばれていたことに対する皮肉めいた表現)

紹介状を持たない田中角栄氏の秘書が
プレイの申し込みをした際に
「田中という名前の人間は犬の糞ほどもいるが、どこの田中か」
「総理の田中です」
「ここ(軽井沢ゴルフクラブ)は会員のための倶楽部だ。
メンバーか、その紹介がなければプレイすることは出来ない。」
と、一蹴してしまったり。

のんびりプレイすることを極端に嫌い、
「Play Fast!」(さっさと打て)
彼の名文句を模したTシャツは同倶楽部の名物土産となっております。
などといった逸話は枚挙に暇がなく
その頑ななまでに自らのスタイルを貫き通す、
凄まじいまでに格好良い「生き方」は今でも語り草になっています。

夫人で作家の正子さんのエッセイ(「対座」世界文化社刊)によりますと
「身につけるものは一流品ばかり。腕時計はローレックス・オイスター、
ライターはダンヒル、懐中時計はベンソン、英国製のオーデコロンに
英国製のスーツ。それらはすべて次郎が自分自身がで選んで、買っていた」
のだといいます。
そして、その英国製のスーツとは、
「背広」の語源の発祥、スーツの発祥になったといわれる
ロンドンのサヴィル・ロウ15番地に本店を構える
「ヘンリー・プール Henry Pool」のビスポークでした。
ビスポークとは、「既製の」対語、「注文の」という意で
これは「客から希望を話される」Be Spoke から造られた造語です。
最近では日本でも「ビスポーク」という言葉が使われるようになりましたが
古くからの表現では「オートクチュール」、
「オーダーメード」といえばよりわかりやすいでしょうか。

「ヘンリー・プール」は
サー・ウィンストン・チャーチルをも顧客に持つことで知られる
紳士服テーラーの老舗中の老舗です。
創業以来、英国の伝統を誇る、各種の儀礼服を現在でも作り続けています。
その完成された正統派スタイルは、現在でも全く色褪せることはありません。
(時の宰相、吉田 茂 もHenry Pool のビスポークを愛用していたそうです。
まぁ、間違いなく白洲氏の影響によるものと推察されますが)

白洲さんは戦後において、時の総理 吉田 茂 に懇願され
GHQとの交渉にあたっており、交渉相手も一目置かざるを得ない、
まさに一国を代表するにふさわしいスタイルを身に纏っていたのです。

「良い服を着ていると、そんなに一目置かれるの?」
そう思われる方も多いでしょう。

その通りです。一目置かれます。

サミットなどの国際級会議で日本の首相の影が薄く感じてしまうのは
服装、ドレスコードをきちっとわきまえていないからに他なりません。
米国の歴代大統領を見てください。
とりわけ米国のバラク・オバマ大統領は時に凛々しく、時に雄々しく
要所々々でTPO をしっかりとわきまえた服装をしています。
国を代表する一国の宰相が着るべきものというのは、
自ずと決まってしかるべきなのです。

これは米軍病院視察の際の一コマです。(Photo.1)
私と一緒に写っているのはホスト役のDr.です。
後ろにある施設は、「OFFICERS CLUB]
将校(士官)専用のサロンです。
ここは一般隊員は立ち入ることが許されないそうで。
何故そこに?

この時、私は日頃よりお世話になっている
防衛医大の高橋先生のお供ということで
参加させていただいたのですが
滅多にない折角の機会ということもあり
「President Suit」 大統領仕様のネイビーのスーツで出席しました。
欧米とは若干違い、米国で俗に言うパワースーツといえば
「ネイビーのジャケット、白のワイシャツ、赤のネクタイ」というスタイルになります。
このカラーコーディネートは米国の国旗である、星条旗を表してます。

さながら首脳会談のようでしょ?(言い過ぎ)

このような出で立ちで欧米の方と謁見しますと、
明らかに相手の表情や対応が変化するのがわかります。

そう、このような場では立派な風采はまさに推薦状の如し、なのであります。

ただ私の場合、白洲氏と違い肝心の中身が伴っておりません。
ですからまだ、着られた感が満載です。
知識も、知性も、行動力も、フェアプレイの精神も、全てにおいて
これから内面を充実させる意味においても、
彼から学ぶべきものが山ほどあります。

なので直接、白洲さんにお聞きしてまいりました。

? ??

そう、白洲次郎氏は、1985年に逝去しております。

白州 次郎

Photo.2

私がお逢いしましたのは白洲 次郎 氏のお孫さんで、
エッセイストの 白洲 信哉 さんです。
某出版社と英国車メ-カ-が主催しました
英国フェアが千代田区番町の英国大使館でありまして、
それに呼ばれて参加した際の特別ゲストとして
白州さんが出席されておりました。(Photo.2 左)
やはりどことなく面影が白洲 次郎 氏に似ていらっしゃいます。(当たり前)

数々の逸話を持つ、生前の白洲 次郎 氏の人物像を知るご家族の方に
直接お話を伺える機会など、そうあるものではありません。
しかも英国大使館内で。あまりのシチュエーションに気絶しそうです。
直接伺ったお話では、
「家の中では気難しい印象はなく、どちらかというと朴訥とした人だった」
「ああしろこうしろと小言を言われたことは一度もなかった」
そうです。意外ですね。

また、次郎氏がこよなく愛した銀座にある伝説の鮨屋、「きよ田」に纏わる
お話も色々と伺うことが出来ました。

(余談ではありますが、
今をときめく銀座の日本一予約の取れないミシュラン三ツ星の鮨店、
「あら輝」の 荒木 水都弘氏は
「きよ田」の先代、伝説の鮨職人 新津 武昭 と師弟関係にあります。)

様々なお話を伺ったことで
少しでも白洲氏の人物像に近づけられますよう
今後も内面の充実を図っていこうと思っております。
そう、服に着られることのないように。