2011
9/26
亡き父の遺志『帝国ホテルに学べ』
4歳のときですから父の記憶は殆んどないのですが、
亡くなる一週間前に上野動物園にパンダ(確かランランとカンカンだったかと)
を観に連れて行ってくれたこと、
そして病に伏した東京病院の病室で、私に遺した最後の言葉
「帝国ホテルを使いこなせる男になれ。」
この言葉だけは、今でもその状況を鮮明に覚えています。
そう言い遺し、父は亡くなりました。
「帝国ホテルを使いこなすって、そもそも帝国ホテルってなんだろう?」
四歳の子どもに、その言葉の真意を理解できるはずもなく、
しかし父の最期の言葉だけに、
母親や祖父母と、有楽町や銀座に買い物や観劇に出かけた際には必ず、
事ある毎に父の遺言の真意を確かめるべく
帝国ホテルのロビーに連れて行ってもらいました。
ロビーの脇にはラウンジがあり、
そこで決まって私はクリームソーダを頼んでもらっていました。
確か当時の値段で600円だったと思います。
その頃、東久留米〜池袋の運賃が60円の時代でしたから、
今考えると物凄いわがままを利いて貰っていたなぁ、と思います。
我が家の生活はそこまで貧しいと思ったことはありませんでしたが、
裕福とも思えませんでしたから、父の言葉を理解させるために
母が相当無理をして連れて行ってくれたのだと思います。
子供心に、「600円もするクリームソーダって、どんな味がするんだろう?」
たしかに自宅周辺の喫茶店で飲んだそれとは明確に美味しさが違うのは
当時の私でもわかりましたが、何倍もする程の価値があるのかは、
わかるはずもありません。
しかも、明細を見せてもらい更に驚きました。
10%、60円ものサービス料が別途取られていたのです。
ソーダ水を運んでもらうだけで60円も取られるのか。。。
その意味がわかるまでには、実に30年以上の歳月がかかりました。
その後も父の言葉の真意を確かめるべく、
それこそ事ある毎に幾度となく帝国ホテルに連れて行ってもらいました。
母が知人の結婚式に出席するために行った際のことですが
自分の知らない人の披露宴の式次第など、子供には退屈なだけです。
パパッと料理を食したら、頃合いを見てサッと退席して
一人で地下のショッピングアーケードを探検するのが好きでした。
そう、ふと思い返すと小学生にあがる頃には、
いつしかあの広大な施設内のどこに何があるかを覚えるようになっていました。
(といっても通路やロビーをうろうろするだけでしたが)
普段暮らしている東久留米では決して見かけることのない、
凛とした佇まいのご婦人達。
そこで行き交う、上品で穏やかなトーンとヴォリュームの会話。
目が飛び出るほどのプライスのバッグや洋服を、何の躊躇もなく物色する人々。
レストラン「ラ・ブラッスリー」に続く通路の脇にある、
「三田倶楽部」と記された荘厳な雰囲気漂う立て看板と扉。
「あのドアの先には、どんな世界が拡がっているのだろう・・・」
幼心に亡父の言葉の真意を掴むための、小さな、小さな冒険の日々が続きました。
それから三十余年の月日が経ち、
いつしか私自身が「インペリアル倶楽部」に入会し、
事ある毎に帝国ホテルを利用するまでに至りました。
「食事でもどう?帝国(ホテル)でいい?」
あらゆるシチュエーションにおいて、
多くの人はこの言葉に特別さを感じることでしょう。
誘われた人は、この言葉だけで
相当に自分が特別な存在なのだと認識出来てしまいます。
ビジネス上の取引先においても。
もちろん、家族にも。
取引先との会食に(帝国ホテルを)選択することで、
相手がどの程度の素養(作法やマナー)を兼ね備えているか
把握することで交渉を有利に進めることが出来ますし、
またホテル側からそれ相応のもてなしを受けること
(馴染みのホテルマンやシェフのの挨拶など)を見せることで、
それだけのクレジットのある人物であることを印象付けることが出来ます。
かつて「素晴らしい味の世界」という、東京12チャンネル(現在のテレビ東京)で、
蝶ネクタイ姿の柳生 博さんが司会を務める料理番組がありました。
全国の一流レストランのシェフがそのお店の看板メニューを調理するシーンを
放送する、5分程度の短い番組でした。
フランベや鍋振りなど、名のある店の一流シェフの、
華麗なる包丁捌き、鍋使いに、私はすっかり魅了されました。
ある時この番組で帝国ホテルが登場する場面があり、
帝国ホテルが発祥の料理「シャリアピンステーキ」
「海老と舌平目のグラタン エリザベス女王風」
の存在を知ることになりました。.
1936年、ロシアのオペラ歌手、フョードル・シャリアピンが来日した際、
激しい歯痛のために食事が摂れない彼女のために考案された料理です。
玉ねぎの持つたんぱく質分解酵素が、肉を柔らかくする作用があることから
考案されました。
もしその場に私がいたら、
シャリアピンステーキは誕生していなかったのかもしれません^^
また、「海老と舌平目のグラタン エリザベス女王風」は、
1975年に英国のエリザベス女王陛下が来日された際、
陛下のお好みを伺った当時の総料理長、
ムッシュ 村上 信夫さんが考案し、
そのあまりの出来映えから、料理の名前に自らの名前を冠することを正式に
お許しになられた唯一の料理。
流暢にナレーションされる柳生さんの語り口に、その光景を浮かべながら
思わず食い入ったものです。
それから三十余年の月日が経ち、
いつしか私は、「インペリアル倶楽部」に入会し、
事ある毎に帝国ホテルを利用するようになり、
ふとあることに気が付くようになりました。
「永いこと、ホテルという舞台を眺めていると、どのように振舞うのが
善しとすべきかが自ずと見えてくる。客だからといって
頭ごなしにオイコラと吼えるような所作は極めて無粋であり、
本人のみならず、周囲の人々にも不快感を与える。
紳士たるもの、自らの目的を遂行しつつも、常に周囲にも気を配ること
人に感謝することを忘れてはならない。
服装も然り。無闇に流行を追うのではなく、
周囲に調和する服装を心がけ、
人様に不快感を与えるような格好をしてはならない。
真に良いものとは時代に流されることなく、
その本質は常に変わらず在り続けるものである。
以上の所業が事業でも同様である。
事業家たるもの、利益の追求も大切ではあるが、それのみ追い求めてはいけない。
事業を通じて、社会に貢献するという志を決して忘れてはならない。
周囲へ行った貢献は、巡り巡って自らの許に還ってくる。
以上のことを身に付けたくば、帝国ホテルに足を踏み入れればよい。
時代は変われど、本当に良いものは変わらずに在る。」
今振り返りますと、父の教えはそのような意味であったのであろうと
自分なりに解釈しています。
その教えを、今後も護っていこうと思います。
10年一昔といいますが、歯科業界も10年経ちますと目まぐるしく変化します。
日常的に使用する器具も日々進化し、開業当初に使用していたツールが
倉庫を整理した際に出てきたりしますと、時代の残酷さを感じてしまいます。
(それぐらい歯科医療は進化しているといえば聞こえは良いですが、
私からすると過当競争の中、不必要な最新医療に
生きる術を暗中模索しているように思えてなりませんが)
しかし治療の本質は、殆んど変化していません。
本当に良いものは、目まぐるしい時代の変遷を経ても
決して色褪せることはありません。
時代を読み解いても、感化されてはいけません。
これからも本物だけを提供できるよう、
歯科医療の真理を追究していこうと思います。